とある地域の妖怪事典blog

下野国を中心として、怪異妖怪俗信など広く拾っていきたいと思います。地域の文化や伝承の再発見、教育のためなど広くご活用いただければと公開しました。

大田原城

大田原城には蛇の話がある。落人の武者たちが那須野を行くうちに日が暮れある家に宿を求めた。 主人は快くもてなしたため、落人は眠りにつくと夢を見た。 一匹の白蛇が自分に向かってお辞儀をしているというものだった。 翌朝村外れまで来ると、蛇の形の丘を…

臥牛城

那須烏山の西方に那須与一が築いた城趾がある。 那須与一は城を築くときに数十頭の牛を屠ってその礎のしたに埋めた。そのときに血が流れ川となり血水川ができた。後の清水川である。 臥牛城は常に不思議な気が立ち、敵が近づくと城は臥牛の形となり、うなり…

古峰ヶ原(遠野物語拾遺)

野州古峰ヶ原は火伏の神として遠野地方にも信心する人が多いと、遠野物語拾遺の六五にある。 この神様は非常に山芋が好きだということである。講中のものは競って山の長芋を献上する。その献上の仕方は自分の屋根の上へ古峰ヶ原の神様に上げますと言って芋を…

蛇骨塚

国分寺町本町の西端花見ヶ岡の裏手に蛇骨塚と呼ばれるところがあり次のような伝説がある。 鎌倉時代にこの地にすんでいた川井兵部の妻は夫への嫉妬心が高じ、大蛇に変身し、寺の池に住み人々を悩ませた。 村人たちはこの大蛇を慰めるため人身御供をさしだし…

オトカサマ

栃木県足利郡月谷町下の宮の飯綱神社には次のような話がある。明治の中頃までは本社殿の下にオトカサマが穴を掘って住んでいる。オトカサマはキツネ又はムジナと考えられるという。その動物の出入りで人の吉凶を占った。またオトカサマは人間に憑くものであ…

モモンガア

栃木県教育研究所に「下野の故事ことわざ」調査協力校から寄せられた事例に「夜泣くと屋根裏からモモンガアが来て連れてって頭から塩つけて食べてしまう」という事例がある。(臼田甚五郎監修『下野の故事ことわざ辞典』三弥井書店 1981年 p121) 具…

ボーツパキ

芳賀郡では五月六日をボーツパキという。 この日は田の中に入ると足が棒のごとく腫れるといって仕事を休む農家が多かった。 須藤村千本地方では那須与一が扇の的を射るときに「五月六日我が領内に田の中に入るものあらば足を棒ぱぎにするから扇の的を射させ…

カッパ(風呂の中)

風呂の中で赤子にお乳を飲ませるとカッパに引かれる(小林政一郎「那須郡の俚諺的俗信」「旅と伝説」三元社 第九年二月号、通巻98号 p14 「 完全復刻 旅と伝説」17巻 岩崎美術社 1978年) 下都賀郡でも雨をなめたまま風呂に入ると腹に虫がわくということをいう…

蛇王様

蛇王様 小山市の下生井 庄屋の大橋弥右衛門の屋敷におまつという少女が抒中奉公していた。 誰からも可愛がられ、特に主人の弥右衛門からは可愛がられたが、そのために周囲からねたまれ殺された。 それから家の回りに人間の舌をした白蛇が現れるようになり、…

血とりばあさん

大正八年野木町生まれで、教員をした長浜精が子どものころに母に聞いた話。母が足踏みの米搗きをしていると、百回とか二百回とかいって手伝った。手伝いながら話を聞いたり唄を聞いたりした。その中に「血とりばあさん」や「花屋敷の黒豹」という話があった…

山犬さん

大山田。 昔、オカネさんが横山の酒屋で酒を買い、コモト峠を越えて下ってくると途中沢の方からオカネさんおカネさんと呼ぶ声がした。 オカネさんは声を頼りに沢の方へどんどん入っていったがそのまま二度と戻らなかった。 後に村の人はオノ沢の木の下にオカ…

地蔵を縛る

鈴木霊嶺が田中貢太郎に語った話。明治43~44年の頃の話。 栃木県芳賀郡中村では干瓢が重要な作物であった。 石島と竹田という農家の家の畑から干瓢が盗まれる。 二人は地蔵に参詣したがききめはなかった。十四日目の晩に荒縄を持っていって地蔵の首を締…

野木の明神さまの蛇

野木明神の本体は蛇だという。昔、偉い神様が日光街道をお通りになるときに方々の神様が出迎えたが明神様だけが出てこない。出迎えさせようとして訪ねてみると、一の鳥居から三の鳥居まで七巻きまわるほどの蛇が出て来た。あまりにも大きな体であったため、…

椿坂の化け物 椿坂の古狸

黒磯市と那須市の境、西岩崎から半俵の間に椿坂という坂がある。半俵の半兵衛という人が駄賃つけて大田原から帰ってくると、その坂では夜になってしまう。その坂では「市兵衛さん今かい」と毎晩聞こえる。いつも声をかけてくれてありがたいからここへ来なさ…

三鬼尊

栃木市旭町にある満福寺には、3体の鬼の像が祀られている。 この青鬼、赤鬼、黒鬼を三鬼尊という。正月十六日と八月十六日の縁日には子どもをお参りさせ、それまでの悪さを懺悔させたという。 このうち中央の青鬼は体を鎖で巻かれている。 その由来として、…

大工の娘の幽霊

光徳寺を絶てるとき、柱を細かくきざんでしまった。 大工が心配して帰ると娘が、「それではマスガタをつけたらよかろう」というのでそうした。 光徳寺の建物はうまくいったが、娘が、親以上だというので恐ろしくなり殺してしまった。 それから建前のときに幽…

八内猫

高林の禅寺に高林寺というのがある。その寺の裏に墓がある。木綿畑新田の住人が大田原に駄賃付けして、夜そこを通りかかったらにぎやかな三味、太鼓の音がした。のぞいてみると狐と狸が躍りを踊っていた。その歌の文句に「八内猫が来なければ、さっぱり調子…

解石神社の解石

那須烏山市下境にある解石神社の奥の宮には御神体である解石がある。 鏡石とも呼ばれ、玄翁和尚が殺生石を那須野が原で叩き割ったときに飛んできたという。 狐の祟りを恐れた下境の人々は村の安全をいのるために社を建てたという。 (村上健司『日本妖怪散歩…

オビクニ(お比丘尼)様

昔、庚申の晩は夜明かしするものだと言われて夜遅くまで世間話をしていたものである。 その時には大豆を炒って砂糖を混ぜて食べていたものだが、ある時この豆の中にタニシが一つ入っていて、それを食べた人がお比丘尼差までその後長生きした。 (都賀町史編…

釜が渕

60年ぐらい前まで、釜が渕に遠足に行くとその日が晴れ、翌日は必ず雨が降った。(『日本怪異妖怪大事典』p152 出典は『粕尾の民俗』p249)

熊蜂の頭

真岡市での俗信。「熊蜂(くまんばち)の頭を持っていると狐にだまされない」という。(真岡市史編さん委員会編『真岡市史』第五巻 民俗編 真岡市 昭和六十一年 p1202)

継母の怨霊

今野圓輔が「犬著聞集」からとして著作のなかで紹介している。 下野国那須の下蛭田村に助八という男があった。 実の父母は早く死に、継母ばかりであったが、助八はこの継母に辛くあたった。ある日助八に向かって、「お前は私をひどい目にあわせるが全て物に…

神隠し

田沼町の野上村での話。 ある日村内の子どもがいなくなった。消防団を動員して一晩中探したが見つからない。 ところがその次の日にその子が大木の根本にボーッとして立っていた。その子の話によると、自分が夕方山道を歩いていくと、何やら白いものが見える…

カエモンムジナ

ジョウネンボというところでカエモンが猫を殺して食べた。残った肉を持って帰るとウラザワでひきまわされた。それ以降は毎年ウラザワにムジナが出た。カエモンムジナと呼んだ。(日本民俗調査報告書集成 栃木県 p483)

ノッペラポンのキンライライ

尻取り文句にノッペラポンのキンライライが出る。 高橋勝利が子どもの頃に尻取り文句のノッペラポンのキンライライについて聞いたことには、金来寺の和尚の顔は一つ目のノッペラポンで、それににらまれると一つ目にされてしまうというようなことであったとい…

焼森山の天狗さま

焼森山は天狗がいるが、天狗さまは御詠歌が好きで、よく大声で山の中腹をかけまわりながら唄っているのが聞こえるそうだ。それから昔は赤目炭を焼くので、夜通し起きていると、山小屋の上に大きな木でも倒すような音をたてたという。 (高橋勝利「下野逆川村…

雷神穴

焼森穴の雷神穴から雷様が出るのだと村の人は信じている。その穴から賽銭や綺麗な小石を持ってくると気ちがいになる。 (高橋勝利「下野逆川村話(一)」 高橋勝利編「芳賀郡土俗研究会報」2号 芳賀郡土俗研究会 1929年 14裏)

ガンゴジー

ガンゴジーとはお化け!というような意味で子どもを驚かすときに使うという。 (高橋勝利編「芳賀郡土俗研究会報」逆川村方言号 芳賀郡土俗研究会 1930年 2裏)

鶴亀井戸の片目魚

焼森山の鶴亀井戸には片目の魚が住んでいる。 それを捕まえてきても途中で木の葉になってしまう。高橋勝利「下野逆川村話(一)」 高橋勝利編「芳賀郡土俗研究会報」2号 芳賀郡土俗研究会 1929年 14裏)

八ツ目鬼

逆川村では十二月八日と二月八日に屋根に目篭を立てる。八ツ目鬼が来ても自分より目が多いので恐れて家へ入らないからだという。 (高橋勝利「俗信 かごに関するもの」高橋勝利編「芳賀郡土俗研究会報」2号 芳賀郡土俗研究会 1929年) それを受けて高橋への山…