2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧
今野圓輔が「犬著聞集」からとして著作のなかで紹介している。 下野国那須の下蛭田村に助八という男があった。 実の父母は早く死に、継母ばかりであったが、助八はこの継母に辛くあたった。ある日助八に向かって、「お前は私をひどい目にあわせるが全て物に…
田沼町の野上村での話。 ある日村内の子どもがいなくなった。消防団を動員して一晩中探したが見つからない。 ところがその次の日にその子が大木の根本にボーッとして立っていた。その子の話によると、自分が夕方山道を歩いていくと、何やら白いものが見える…
ジョウネンボというところでカエモンが猫を殺して食べた。残った肉を持って帰るとウラザワでひきまわされた。それ以降は毎年ウラザワにムジナが出た。カエモンムジナと呼んだ。(日本民俗調査報告書集成 栃木県 p483)
尻取り文句にノッペラポンのキンライライが出る。 高橋勝利が子どもの頃に尻取り文句のノッペラポンのキンライライについて聞いたことには、金来寺の和尚の顔は一つ目のノッペラポンで、それににらまれると一つ目にされてしまうというようなことであったとい…
焼森山は天狗がいるが、天狗さまは御詠歌が好きで、よく大声で山の中腹をかけまわりながら唄っているのが聞こえるそうだ。それから昔は赤目炭を焼くので、夜通し起きていると、山小屋の上に大きな木でも倒すような音をたてたという。 (高橋勝利「下野逆川村…
焼森穴の雷神穴から雷様が出るのだと村の人は信じている。その穴から賽銭や綺麗な小石を持ってくると気ちがいになる。 (高橋勝利「下野逆川村話(一)」 高橋勝利編「芳賀郡土俗研究会報」2号 芳賀郡土俗研究会 1929年 14裏)
ガンゴジーとはお化け!というような意味で子どもを驚かすときに使うという。 (高橋勝利編「芳賀郡土俗研究会報」逆川村方言号 芳賀郡土俗研究会 1930年 2裏)
焼森山の鶴亀井戸には片目の魚が住んでいる。 それを捕まえてきても途中で木の葉になってしまう。高橋勝利「下野逆川村話(一)」 高橋勝利編「芳賀郡土俗研究会報」2号 芳賀郡土俗研究会 1929年 14裏)
逆川村では十二月八日と二月八日に屋根に目篭を立てる。八ツ目鬼が来ても自分より目が多いので恐れて家へ入らないからだという。 (高橋勝利「俗信 かごに関するもの」高橋勝利編「芳賀郡土俗研究会報」2号 芳賀郡土俗研究会 1929年) それを受けて高橋への山…
栃木市の話。 昔子どもたちの仕事は子守り、風呂汲み、それから夕方の酒買いだった。人家もまばらで外灯もないところを徳利をさげ、小銭を温かくなるほど握りしめていく。 ひどいぼさっか(薮のこと)の中の用水堀沿いの道を走るように通り抜けようとすると、 …
芳賀郡小貝村大字文谷にはアズキトギ坂という坂道がある。昔そこを夜遅く通ると、ゴッチャゴッチャと小豆をとぐ音がしたという。 (高橋勝利「米とぎ婆さまと小豆とぎ婆さま」高橋勝利編「芳賀郡土俗研究会報」1号 芳賀郡土俗研究会 1929年)
逆川村大字小山と小幡の境の河原地にアズキトギ池という池があってこの池から「小豆とぎましょか 大豆とぎましょかゴシゴシ」と豆をとぐ婆さまの声が聞こえるという。 (高橋勝利「米とぎ婆さまと小豆とぎ婆さま」高橋勝利編「芳賀郡土俗研究会報」1号 芳賀…
清水(注 旧逆川村の深沢の清水)の山口境の土橋の下に足かき婆ぁがいて、そこを通る人の足を、ガリガリと引っかくという。(高橋勝利「米とぎ婆さまと小豆とぎ婆さま」高橋勝利編「芳賀郡土俗研究会報」1号 芳賀郡土俗研究会 1929年)
芳賀郡逆川村小貫の明神様の門あたりに晩方になると、小豆とぎ婆さまが出て、ヂャッカヂャカジャッカチャカと小豆をとぐ音が聞こえるという。 逆川村大字深沢の清水の「ムカヒ坂」の橋のところに小豆とぎ婆さまがいて、そこを帰るとヂャラヂャラと小豆をとい…
国分寺町の箕輪には鯉のぼりを立てない。 理由は、お城があったが五月にお城が滅ぼされたからということが多く言われる。 また、鯉のぼりの旗を敵の旗と勘違いして城を捨てていったということなどがいわれる。 ある家で男の子が生まれ、鯉のぼりを立てたとこ…