とある地域の妖怪事典blog

下野国を中心として、怪異妖怪俗信など広く拾っていきたいと思います。地域の文化や伝承の再発見、教育のためなど広くご活用いただければと公開しました。

山菅の蛇橋

日光の伝説。

 日光東照宮へ入るところへある観光名所の神橋(しんきょう)は、山菅の蛇橋ともいう。観光情報サイトのとちぎ旅ネット(日光橋|観光情報検索 | とちぎ旅ネット (tochigiji.or.jp))には「その昔、日光開山の祖「勝道上人」が大谷川の激流に阻まれ立ち往生し、神仏の加護にすがったところ、2匹の大蛇が現れ橋となった。しかし、鱗が滑り渡れずにいると蛇の背中に山菅が生えて道ができたとされ、神橋は別名「山菅の蛇橋」と言われている。」と日光の小学生は習います。」とある。同じ話は高橋勝利も『旅と伝説』に報告している。また、高橋勝利は芳賀郡で六月の何日だったかにアオバヤシといって、菅の箸で麺類を食う行事があるが、これは日光の山菅の蛇橋に関係があるのだと古老に聞いたことがあるという。さらに、朱塗りのこの箸の三本の桁は方言で乳の木という木でかけられているが、その一本は竜宮まで届いているという。「山崎太夫」や「橋掛長兵衛」という神人が古来より、この乳の木を替える役である。「日光山名跡誌」という本には橋の架け替えの際に人身御供を行ったとある。(高橋勝利「日光の土俗二つ三つ」「旅と伝説」(通巻35号)1930年 『完全復刻 旅と伝説』6 岩崎美術社 1975年 p1189)