岩舟町や大平町に伝わる。
富田宿(大平町)に一郎兵衛という餅屋がいた。この人は岩舟の地蔵を深く信心していたので、正月には大きな餅を供えていた。
その子の次郎兵衛の代になってからは、少し小さな餅にした。すると貧乏になり、孫の三郎兵衛の頃には正月になっても餅を地蔵に供えることもできなくなった。
暮れに三郎兵衛が寝ていると、餅もってこいという声が聞こえ、辿っていくと岩船山から聞こえていた。
それから節約し蓄えた米で大きな餅を供えると、暮らしが楽になった。
現在でも富田に住む子孫が毎年餅を供えに来る。
(岩舟町教育委員会編『岩舟町の歴史』岩舟町 1974年 p383~384)