とある地域の妖怪事典blog

下野国を中心として、怪異妖怪俗信など広く拾っていきたいと思います。地域の文化や伝承の再発見、教育のためなど広くご活用いただければと公開しました。

岩嶽丸

 黒羽町川上にある大頭竜神社(別名、八竜神・頭沢神社とも)の由来として伝えられる伝説。また、『那須記』にも載る。

 『那須記』(延宝四年・1676年)巻一では次のような話である。

 八溝山に岩嶽丸という悪鬼が棲んでいた。

 蛇穴地の次郎と大檞大蔵というものを案内人に立て、八溝山の谷を探した。そこへ翁が現れ、笹嶽という所を教え、鏑矢を与え「大己貴神である」と言い残し、消えてしまった。

 険しい道のため、そこからはわずか三十人余りで向かった。

 岩穴の中にいた悪鬼、岩猛丸が姿を現すと、口は耳まで裂け、舌は紅の旗をふるようで、吐く息は火炎のようであり、十の手足をもっていた。

 定信は鏑矢をつがえ、ヒョウと放てば、悪鬼の頭骨に当たった。

 馳せ集まりずたずたに斬りつけると、その姿は数千年生きた蟹の化身であった。身長は六尺あまり、頭は牛に似ていて、頭眉の毛は白馬の尾のようであった。その間から両の角が鋭く生えており、その長さは二尺余りだった。両目は抜け出ること一尺あまりで、金の鞠に朱を指したようだった。十の手足は四尺七寸、鉄のいかりのようだった。前足二つは、蟹の足に似ていて、刃を打ち違えているのと同じで、毛は熊の如く生えていた。首を討つと、その頭は天に上がり、光を放って西に飛行していった。そして案内した大槲大蔵の背戸の古木に登っていた。(大金久左衛門重貞「那須記」栃木県史編さん委員会『栃木県史』資料編・中世五 昭和51年 p二~六)

 地元の言い伝えでは大槲大蔵も斧で腕を切り落としたとか、大蔵の背戸の古木に首が飛んだのは、岩猛丸と大蔵は同郷で、八溝山中に隠れることを他人に漏らすなと大蔵に言いつけておいたのに裏切ったからであるという。

那須記』では岩猛丸の首は定信によって櫃に入れられ都へ運ばれるが、川上周辺には、後日談がある。お祭りの朝、杉並木の参道を通った人の首を切って石のかんどころにいれて埋めると、大蔵の首だと思って岩嶽丸は鎮まるとか、大蔵の木像を作ってズタズタに切りつけると岩嶽丸は鎮まるということである。

 また、口碑では、飛行する岩嶽丸の首が大木にぶつかり下の池に落ちて死んだり、朴の木にぶつかって、木が折れたりすることが含まれて語られている。(田代寛「岩嶽丸の怨霊」下野民俗研究会編・発行「下野民俗」12号 昭和46年 p10~17)

 

  御伽草子の「岩竹」に同様の話があり、蟹の化け物が現れる。