大蛇の流木
田沼町に伝わる。長谷場木戸橋の東の田の中に、三基の供養塔が立っている。この中に「南無阿弥陀仏・延享四卯四月七日」と彫った阿弥陀如来像がある。この像の由来。
ある春の日、三日三晩も続く大暴風雨があった。入山の奥から土砂を含んだ濁流は立ち木を根元から押し流して流れている。
若者たちは流木の引き揚げ作業に、他の者は土手の補強に働いていた。
その若者の中に土地の素封家、森下家の下男がおり、秋には結婚することになっていた。
この下男はとび口を振りかざし、流木を引き上げていたが、大きな流木が流れて来たので引き寄せようとしたが、反対に引き込まれ濁流にのみ込まれた。
人々は下男の姿を波の間に追うと、そのすぐ先の方に大蛇の首が見えた。
下男は見つからず、とび口を振り下ろしたのは流木ではなく大蛇の胴体であったのだとうということになった。
主人や許婚者は石仏をたてて下男をねんごろに弔ったという。